人から提案された案って呑みたくないよね。
皆大好きでお馴染みの占い。
僕はその占いに興味が無い。
ラジオで定番のお悩み相談コーナー。
僕にはそこに投稿すべき悩みが無い。
何でこんな偏屈な事になっているか? が今回のお話である。
占いが好きな人は、ラッキーカラーから始まり運命の相手や合う職業なんかも占いを軸に考えたりすると思う。
例えばデートの日は恋愛運に注目し、ラッキーカラーを基にコーディネートをする女性は多いと思う。
しかし人間生きていればスケジュールという物にぶつかるし、好きでもない色の物を持ったら逆にテンションが下がる。
自分の好きな色や柄の服を着た方が絶対納得すると思うから占いは気にしない。
避けた方がいい物事とか言われてもやりたい時にやりたい事をやりたいじゃん? そこに水を注されるのがもう嫌。だから占いは基本的に見ないし聞かない。
次にお悩み相談コーナー。
そもそも個人的には悩みに対して打開策はもう持ってる。で、それが出来るならとっくの昔にやってる。
打開策もそれが出来ない自分の不甲斐なさや現実も知ってるなら、もう誰かに相談しても無駄な訳で。
あと「こうしてみたらよくない?」を鵜呑みにして実行したとしても相手が責任をとってくれる訳じゃないし、実行した自分が全責任を負うじゃん?
それだったら自分で考えて納得した行動をして失敗して「過去の俺赦すまじ!」って思った方がよっぽどさっぱりする。
人生の道筋を他人任せにしてその責任を背負って生きるとかあまりにも馬鹿らしい。と思ってしまう。
だから一般的とされる人生のレールを独断で早めに降りた今の人生も「失敗したなぁ」と思う箇所はいくつもあっても悔いは無い。
自分で考えて選んだ結果だから堕ちるだけ堕ちても納得してるし、その時々で常に全力を出してその結果が力及ばずだったから致し方ないと割り切っている。
今思うと、誰も助けてくれなかったというよりは来る助けを片っ端から拒んできたって感じがする。
だって助けてもらったらその人が敷いたレールに沿わなきゃいけないって強迫観念に襲われるから、それだったら苦痛にまみれてでもいつでもドロップアウトOKな方が楽なんだよなぁ。
テメェの人生なんだから、どう転がろうとテメェでケリをつけていきたい。
そうなると占いとか相談コーナーは向いてない。
でも正直占いはともかくラジオコーナーとかは投稿できない悔しさがあるww