ノーガードという戦法(但し勝てるとは言っていない)

日々の思考を徒然とキーボードで打つブログ。

今思えば特殊で恵まれた環境だった『サブカル』と『オタク』の実家。

僕はサブカル好きのオタクだ。

同じ趣味趣向の仲間もいる。

でも、最近になって初めて、自分の家庭環境は恵まれていたのだと知った。

 

オタクなので二次元の女の子のカレンダーやタペストリーを飾った。

アニメを家族共有のレコーダーで録画し、秋葉原で中古のLDを買い漁ったりもした。

大好きなホラー映画も沢山観た。

月間ムーが大好きだった。

心霊やオカルトが大好きで、都市伝説も収集している。

また一方でV系と呼ばれる音楽が好きで、ゲーム好きの延長で8bit系も好きだ。

そして機械が大好きで分解や組み立てもする。

 

それら全てを家族は知っていたし、何も言わなかった。

より正確に書くなら家族は大先輩であった。

 

ネットでコミケの存在を知り行ってみたいと言えば、母親が連れて行ってくれた。何故なら母親は元サークルの人だった。

ホラーやスプラッタといった映画も母親の好物であった。今思えば小さい頃よくテレビで『IT』や『チャイルドプレイ』が流れていたが、多分あれは母親がビデオを再生していたのだ。

初めて好きになったバンドのライブに行った時もそうだった。母親が全部手配して連れて行ってくれたが、それは母親がバンギャだったので慣れていたのである。

 

ゲームに関しては母の弟、つまり叔父が精通していた。

当時3才だった僕にゲームボーイをくれたのも、どのゲーム機を買うか悩んでいた時にプレステを勧めてくれたのも叔父である。

またLDをくれたのも叔父であり、ゲームやLDを買うなら此処だと秋葉原に連れて行ってくれたのも叔父だ。

高校の入学祝に何が欲しいか訊かれた時に自作PCをやりたいと答えた時、パーツ屋を紹介してくれたのも叔父だった。

そう。叔父は機械オタクでもあった。

何なら大学で無線クラブに所属していたり、趣味のプラモデルでエアブラシを使用したりしていたので、がっつりオタクだった。

 

そしてこの姉弟の共通の趣味こそ、月間ムーだったのである。

 

世間一般のオタクは、カレンダーやタペストリーなど絶対親に知られてはいけないし、そういう本は購入の際絶対にカバーを着けてもらうらしい。

アニメはバレないように隠れて観ているし、ゲームも親の目を盗んでコソコソとやるのが普通なんだそうだ。

そういうジャンルの物は親の視点では『害悪』なのだと言う。

 

僕は家族によって軟禁状態にあったので他の家庭という物を知らない。それ故にサブカルやオタクが迫害対象だった事も知らなかったのである。家族がサブカルやオタクに精通していれば当たり前の事だが、青春時代何の後ろめたさもなくむしろ自信を持ってそういった世界に入り浸る事が出来たのは、とても恵まれた環境だからこそだったのだと初めて知った。

 

ちなみに現在母親と2人暮らしだが、玄関にショーケースを置いている。

そこには二次元の萌えな女の子から『ヘルレイザー』(グロくてスプラッタなホラー映画)まで様々なジャンルのフィギュアを飾っている。

色んな意味で悪趣味だと今は自覚しているが、自分を偽ることなく過ごせるのは貴重な時間と場所だと思う。

肩身の狭い思いをしているオタク達が少しでも自信を持って実家で暮らせたら良いのになあ。

僕らは『多様性』に縛られている。

多様性。

ありとあらゆる場所で耳にする言葉だ。

それは平たく言うと『社会や個人が十人十色に対応すべきである』という主張に感じる。

 

例えば僕は精神障害者としての立場とLGBTQ当事者の立場の2つがある。

『障害により働く権利が損なわれてはならない』

そう言われても、刻一刻と目まぐるしく変わる体調や健常者からは思いもよらない『出来ない事』が沢山ある。

「必死に働いて死なない程度の生活しか出来ない」

「月13万円稼ぐのがやっと」

「ブラックでも辞められない」

健常者が必死になって掴める現実がこんな悲惨な物なのに、どうして足を引っ張るのが目に見えている障害者を受け入れる事が出来るだろうか。

 

特に発達障害についてのコラムや法人向けの説明でよく見る

発達障害に定型はありません。1人1人の得意不得意を見て仕事の内容や量を決めましょう」

といった一文。

そんな余裕があればそもそも健常者は必死にならなくても生きていける筈である。

生活維持の為に必死に働いている所に

「どうも障害者です。発達障害なのでこちらの意図を汲んで下さい」

とかいう新人が来たら、誰だって頭の中でぶっ飛ばす。

まず健常者にとってやさしい社会になってから僕らを呼んで下さいと言いたい。

 

次にLGBTQの話。

性同一性障害なので体とは逆の性別扱いして下さい」

そう言われて、外見は女装した男を女子更衣室にすんなり通せますか?

外見はすっぴん短髪なだけの女性が男子更衣室で脱ぎ始めても微塵も動揺しませんか?

断言はできかねると思います。

「同性愛者です」

とカミングアウトされた場合はどうでしょう。バイセクシャルだったら男女両方が対象です。

『異質な物に狙われるかもしれない』という不安がゼロであると言い切れますか?

告白されて断ったら、告白された事実も断った事実も噂になって広がりますよ?

 

そろそろお気づきの方もいると思いますが、こうした様々な『多様性』を『半強制的に』受け入れなければならない。

これが現状だと思います。

「私は異物ですけどそれに気付かないふりをしながら御膳立てて下さいね」

そんなメンヘラは誰だって頭の中でぶっ飛ばします。若しくは君子危うきに近寄らずのスキルを発動します。

 

出来ない事は出来ません。

無理をすればいつかしっぺ返しを食らいます。

それはマイノリティもマジョリティも同じ事だと思います。

今の社会は何となくマイノリティの暴力に屈してこそマジョリティである、みたいな変な責任感というか、プライドみたいな物があるんですよね。

勿論僕らも大半はそんな事は望んでいません。だって当事者が一番よく解っている事だから。経験してきた事だから。

足が無ければ徒競走には参加出来ない。

いくら女装をしたところで妊娠も出産も出来はしない。

それを慮ってくれとは言えないよ。配慮されても哀しいだけだ。

 

多分本当の多様性というのは、健常者もどんどん行使してこその言葉だと思う。

「ピーマンは嫌いだから食べたくない」

「アレルギーなのでピーマンは食べられません」

この2人は同じ立場。勿論アレルギー寄りの方で。嫌いだから食べないのはワガママじゃない。食べないという選択肢を選べてこその多様性だと、僕は思う。

もしも世界にピーマンしか無くなったら? ピーマンを食べなければ死ぬとしたら? みたいなIQ0の問いなんか考えなくていい。むしろ世界をそこまで追いやった原因の方が問題だろ。ピーマン嫌いを説得してる場合か。

現実的に考えればピーマンを食べられなくても何ら問題は無い。他の食物で栄養を補えばそれで解決。フードロスを叫ぶならクラスのピーマン好きな奴にでも食わせておけ。美味しいデザートの取り合いみたいにピーマンも取り合って良し。

実際、僕はそれで牛乳をずっとクラスの誰かにあげてたし。母乳で育ったのに乳製品アレルギーな訳がないとかいう謎の理論で検査も受けさせてもらえなかった親元で育ったんでね。

 

だからもっと健常者も「出来ません」って言っていいし、そうじゃなきゃ双方が多様性って言葉に押し潰されて死んじゃうと思う。健常者も障害者も関係なく「出来ません」って言おう。あと余裕があったら「それやりましょうか?出来るんで」も言おう。

そのピーマン食べましょうか? 僕ピーマン好きなんで。

虐待を受けて引き込もっていた発達障害の僕が働いてみた話。

僕は現在進行形で虐待を受けている。

ただ、四人から受けていたのが今では一人からなので負担は減っている。

 

高校卒業後、性同一性障害による日常の様々な困難に疲れ果てた僕は頑なに進学を拒否して精神科へ足を運んだ。

男になってから、ちゃんと社会に出よう。

ーーー結論から言うと、そんな期待は打ち砕かれる事になる。

発達障害統合失調症うつ病離人症etc...

精神病があると性同一性障害と認めてもらえないので、僕の人生は二十歳にして詰んだ。

 

電車に乗れないので、近所でバイトを募集していた洗濯屋?でバイトを始めた。でも一ヶ月で辞めた。

理由は至極単純で、その小さな工場には女性が数名働いており、その内の一人がボスで他は全員取り巻きだった。

「分からない事があれば訊け」

と吐き捨てたそのボスは、仕事中ずっとイヤフォンをしているかスマホで電話しているかで、とても話を聞ける状況ではなかった。

そうして聞かずに独断でやってミスをしては質問をしなかった事を責め立てられる。

元々女性恐怖症だったのもあり、メンタルがゴリゴリ削られて、辞めた。

 

次のバイト先はドラッグストアだった。

レジスターとは仲良くなれたけど、店長と副店長の意見が正反対で、どちらの言う事を聞いてももう一方から怒られる日々に耐えられなかった。

それにレジから離れられないのに何処にどの商品があるか覚えろと言われても、「どうやって?」という疑問しか浮かばなかった。

 

人間関係が拗れるならと、日雇いの派遣に登録した。

最初に派遣された場所はプラスチックを加工する工場だった。

何故か仕事終わりに工場長に呼び出された。

一人称が僕だったのが気になったらしく、しつこく聞いてくるので答えたら

「それは間違ってる。ただの思い込みだよ。子供を産めば間違ってたって絶対解る。だから女の子らしくした方が良い」

と言われた。

今日しか会わない人間に人格の全否定をされて、派遣会社も辞めた。

 

こうして僕は二十歳からニートになった。

家にも居場所なんか無いけど、外にはもっと無かったと痛感したからだ。

 

時は過ぎ、三十歳になった頃。

祖父母の闘病が終わり逝去し、遺品として預かった猫も天寿を全うした。

一段落ついて考えたのが仕事だった。

 

ゲームに関係する仕事をしたくて近所のレンタルビデオショップに応募した。※この間に引っ越しをしており、引っ越した先の近所にお店があった

面接の時、最初に障害者手帳を見せた。ずっと引き込もっていた事も話した。

でも結果は採用だった。

 

そこでバイトを初めてから三年が経った今でも、辞めずに続いている。

先輩方は最初の方こそ戸惑っていたが、今はバンバン注意してくるし一般人と変わらない感じで接してくれつつフォローやネタで和ませてもくれる。

正に人に恵まれた職場なのだと思う。

 

そんな職場に恵まれている今はとても楽しいし嬉しい。

ただ、今度は家に帰りたくなくなるという罠……。

自分のアイデンティティが分からない。

今回は”自分”というキャラクターについてです。

 

何かに迷った時、人生や現在における主軸とは何かをよく考えます。

そして、その度に困ります。

 

自分のアイデンティティって何だろうか。

 

三者からの想像をしてみても、何だか取っ散らかっている。

例えば

 

・『性同一性障害

現在では『性別違和』と呼ぶ人もいる。要するにオカマとオナベ。ちなみに僕はオナベ。

・『アセクシャル

恋愛感情が無い人の事。男も女もひっくるめて、人間はあんまり好きじゃないです。かと言って他の生物や無機物にも恋愛はしません。

・『虐待被害者』

実家と祖父母の家を行き来する生活だったんだけど、その両方で虐待を受けていました。だから色々と育たなくて歪んでます。主に脳とか。

・『自閉症スペクトラム

自閉症傾向が強いです。独特なこだわりや思考感情があって健常者や社会とはうまく付き合えません。

・『痛覚の鈍麻』

痛みに強いとかそういうレベルじゃない。怪我した事も分かってなかったりする。何だかいつも痣だらけ。医者から「何でもっと早く来なかったの!」と怒られるのにはもう慣れた。平気で血を垂れ流しててどん引かれたりする。

・『食への無関心』

食べる事が苦手だし、食事自体面倒だし出来れば避けたい。点滴生活とかできたら最高。人と食事しに行くのは苦痛でしかない。

・『重度の不眠症

麻酔前投与に使われるような薬を沢山呑んで毎日無理矢理寝てます。寝るのもあんまり好きじゃない。そんな時間があったら好きな事をしたい。眠気は知らない言葉。

・『アルコールジャンキー』

まだアル中ではない。ザルだからいくらでも飲む。お酒は美味しい。アルコールのジュワッと蒸発する感じが好き。アルコールと名乗っていいのは8%から。』

・『いきなり倒れる』

個人的にはいきなりではない。元々軟弱者だから倒れるまで行動するだけ。集中した後や食後、陽の光に当たっていると高確率で倒れる。

・『精神障害2級及び障害年金受給者』

主な病名は『統合失調症』『うつ病』。治る見込み? 君達が切断した手足が生えてこないように、欠損した心も欠損したままだよ?

・『人以外に話しかける』

動物、植物、無機物、機械。何にでも話しかけます。だって皆同じ『モノ』でしょ? せーかいーはーおーなじー。

・『心因性健忘症』

過去現在日常非日常悲しみ幸福問わず、殆ど全てをランダムに忘れます。日記をつけて読み返すと「へぇ、そんな事があったんだ」と他人事になるので無意味でした。

・『離人症

一言でいうと『臨場感が無い』人。自分の体も含め、現実世界と自分という存在が同じレイヤーにあると認識出来ない。映画を観てる感じ。自分の配役を知らないから何をどう演じるべきなのか皆目見当がつかない。

・『解離性同一性障害

『多重人格』と言った方が分かりやすい。健忘症で忘れている場合と別人格が対応していてそもそも知らない場合との2種類があるのでややこしい。しかも事自分に至っては現実世界に対応する役なのに上記の諸々でキャラを忘れていて「あれ、この場所での俺どんなんだっけ?」となる。毎日当たって砕けている。

・『オタク』

性格や特徴の1つと言えば1つ。アニメ・ゲーム・オカルト・機械が大好き。専門家には及ばないけど一般人からは『何でも知ってる』と思われがち。守備範囲が広いだけです。

・『多趣味』

これも実際知ると引かれる。ゲーム・読書・音楽鑑賞・執筆・絵描き・レジンを主としたハンドメイド・プラモ系の工作・音楽や動画制作・機械の修理やメンテナンス・好きな対象物の情報収集・DIY・苔と多肉植物とモルモットの育成・ホラーや怪談の視聴・実験・海や水気の多い所に行く・ヘッドホン収集・最新やキワモノガジェットの発掘。ざっくりした区分けだとこれくらい。

・『杖をついて歩く人』

一目で分かる特徴。常に浮動性目眩に侵されているので転んだり倒れたりぶつかったりするのを防ぎます。あと昔左足のカカトにヒビが入ったのに気付かなくて放置してたら後遺症が残ったんでそれもある。

・『明るい物がとにかく苦手』

例『バンプオブチキンは明るすぎて聴けない』『テレビは報道ニュースしか見られない』『できれば間接照明だけでお願いしたい』『寝る時は機械のLEDランプが気になる』『遊園地的な場所でそこ特有の挨拶をされるのが怖い』『DbDで懐中電灯を使われると敵味方関係なく画面の前にいる本体が被ダメする』『客が少ない時や受付での笑顔接客が辛過ぎて買い物とかできない』『パリピは皆急性アルコール中毒で死ねばいいのに』『関西圏には絶対に足を踏み入れられない』『部屋を暗くするライトとかないん?』『メジャーコードは扱えない』

・『境界線が変』

興味が無かったから、成人するまで1度も髪を染めた事が無かった。テレビか何かで青い髪を見てやってみたくなったから青にした。ピアスも興味が無いから開けたことが無いけど自傷行為の代わりにボディピをセルフで開けまくった。歌ってみたをやってみたくなって突然機材を揃えた。美容室に行くのが嫌でいきなりバリカンで刈り始めた。そういう何となく始めた事が周囲にとっては驚天動地らしい。当人は至ってフラットに始めるんだけどね。

 

さて、飽きたからこのくらいにしておこう。

ざっと思い付くだけでも主軸に申し分のない材料がこれだけある。

一事が万事『変人』だと、その『変』のベクトルを決めるだけでも大変という事だと思う。

例えばキャラメイクでこの資料出されたら「は?」で終わる。「いやいやバックボーン1つと入れたい要素が2つくらいあればキャラ1体出来ますけど? むしろそれを1体に詰めるのは無理ですけど?」って感じだ。

 

俺にだって分からない。FtMも俺って感じがするし、虐待もメインテーマに出来ると思う。精神障害発達障害グレーゾーンだって話題性はあるんでない? 最近の話をするならマーベラスが中国の大手に吸収された事だけど。気付くとマーベラスのゲーム沢山買ってるような人間には大ニュースですよ。

ほうら、もう纏まらない。

 

人としての軸がぶれている!(大槻ケンヂ氏の楽曲より)

1億総2chネラーみたいな雰囲気。

ツイッターを眺めていて感じていた既視感と違和感の正体が解った。

これ20年くらい前の2chの雰囲気と全く同じだ!

という訳で20年前はこれが許されていて、今は許されないだろうと思った事を挙げてみる。

 

まず20年前は、そもそもインターネットを日常的に使って誰かと交流する人間はオタクや引きこもり、そしてネット弁慶の様な”一般社会に受け入れられない”人種だった。

そういう日陰者達が集まって居場所を得た。それこそがインターネットだった。

かく言う自分も例に漏れずオタクである。

その中でも独自の文化を築いたのが2chという総合掲示板だ。

「半年ロムれ」

という言葉が表す通り、そこはひねくれ者の奇才達がある意味で一致団結して活動していた。

誹謗中傷に特定班。眉唾な噂からちょっと危ないサイトへのURLまで何でも手に入る場所。ただこのネラー達は徹底した掟を守っていた。

1.ネラーとしての活動は2chの中だけに留め、リアルとは繋げない

2.どんな噂でもまず『ソース』を徹底追及する

 

現在はあらゆるSNSでこれらが横行しているし、リアルに浸食してしまっているのが第一の問題だと感じる。

そもそもインターネットという世界に一般人が入り浸る事がまず異常だ。

現実に問題が無いならネット世界に来る必要なんか無かった。が、今や現実での立ち位置を確立保持する為に必死にネット活動に勤しむ人間が増えている。

度を超した承認欲求が凡そ全ての日本人に蔓延してしまっているのだ。

そして過去スレやらニコ動やらから得た知識を引っ張ってきてルールを無視して使用し始めた。

ネラーはある意味でロールプレイをしていただけだが今のSNS利用者は現実とネットの区別がついていない。だから誰彼構わず炎上させて問題になるし、そもそも『炎上』なんて事態が勃発するのだと思う。

 

今やインターネットは小学生ですら当たり前に利用している時代。

倫理道徳常識何それ美味しいの? な年代がネラーの行動を見ればそれはさぞ面白かろうし、同時に『これはやってはいけない事だ』と露ほども思わないだろう。

「楽しいやりたい雑ぜて!」

と年齢不詳の匿名が好き勝手にすればそれは荒らしになって当然だとも思う。

ネットリテラシーなんて単語が登場するのも無理はないし、それが定着しないのも理解できる。日常にネラーもどきが蔓延してしまった今、何をしてもあまり意味は成さない。

 

これは社会問題や教育問題とは少し違っていて、インターネットの普及やその速度が大人の予想を遥かに超えたという事が発端のように感じる。

しかし一度知ってしまった事を無かった事にはできない。今更現代からネットを切り離す事は不可能だしナンセンスだ。

もっとも、現実世界で満足感が得られればネットで鬱憤を晴らす人間は減るだろう。或いは現実で鬱憤を晴らせる場所が無いという実情も大いに関係している。

今は1億総ネラーであり、1億総メンヘラとも言えるかもしれない。

 

最後に一言。

古のネット住民は居場所をぶん取られて結構辛いよ!

『空っぽのやつでいっぱい』アボガド6著 読了。人生は幸福な空っぽなのかもしれない。

アボガド6氏のマンガ作品集『空っぽのやつでいっぱい』を読んだ。

きっかけはツイッターのTLに流れてきたツイートだった。多分、フォロー中の誰かがRTした物だ。

そのシンプルかつ命の表裏をスッパリと切り取った1枚の写真に一瞬で魅了された。

ツイートを辿り、何十枚も絵を見つめた。

そのどれもが生と死を鮮やかに彩り、そして的確に捉えていた。

 

凄い。

この人はじっと社会を見つめて、そこに溢れている見えない叫びを拾い続けているのだ。

気が触れる事無く。

 

そうして調べた結果、氏の初めての単行本である『空っぽのやつでいっぱい』を知って購入した。

 

【Amazon】

空っぽのやつでいっぱい (KITORA)

空っぽのやつでいっぱい (KITORA)

  • 作者:アボガド6
  • 発売日: 2017/06/22
  • メディア: 単行本
 

 

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楽天

 

初めは少し不安もあった。

作品というのは媒体を問わず往々にして『伸ばすと希釈される』という傾向にある。

例えば大ヒットした曲を元にした映画が大ゴケしたり、小説化されるとメリハリが無くなったり。

1の物を2にするには1をもう1つくっつけなくてはならない。

1+1=2

で、この余分に足された1が作品を台無しにしてしまう場合が少なくないのである。

1枚の絵でここまで忠実に現実を切り取れる作家さんが描いた漫画。僕はそこに”余分な1”があるのではと心配したのだ。

 

結論から言うと、そんな物は杞憂だった。

ページ数が増え、ストーリーが増し、結果的にそこには膨大な情報量が伴っていた。

希釈なんてとんでもない。むしろ濃縮度が増されているように感じた。

不安を持ちつつ本を買った過去の自分を六法全書の角でぶん殴ってやりたい。

 

さて、この漫画に関しては特にネタバレをしたくない部類の内容だったので、迂闊に物を言えない訳だが。

兎に角買って損は無い。何なら得をする。徳も積める。(当社比)

命。人生。生きる事、死ぬ事。

その全ての解釈や価値観が、この1冊に詰まっていた。

読後感は極端に分かれると思う。僕はとても穏やかで晴れやかな気持ちになった。

「そうだ、これでいいんだ。」

そう思いながら背表紙を閉じた。

完璧な大人なんていないけど、そういう大人からはもっと深刻なエラーを持った子供が産まれるスパイラル。

最近色んな事が記事にされてます。

NHKでも放送されてたりします。

 

虐待、貧困、子殺し。

そういった類の事から子供を守ろう。

 

最初に耳にしたのは『孤食』という言葉。

共働き家庭の子供は作り置きや買っておいて貰った晩御飯をレンチンして食べている。これは問題である。

そんな感じの主張だったと思う。

そこから『ネグレクト』という言葉が派生し、

育児放棄は虐待である」

という見解がなされた。

 

一方で昔から存在していた虐待にも光が当てられた。

子供が異性の親から行われる性的虐待

両親どちらからでも行われる暴力という虐待。

この2つの物理的虐待に、夫婦喧嘩や子供に成績を求める事が新たに虐待とされた。

他にも怒鳴ったり否定したり他の子供と比べたり、祖父母に預けて遊びに行ったり料理をしなかったり一緒に遊びに出かけなかったりが続くと、それらは全て虐待とみなされる。

 

時を同じくして成人していても精神病に罹患したり社会のレールを一歩踏み外して転落したりという事案が次々と浮き上がってきた。

様々な依存症に悩む大人、義理の親との関係に苦しむ大人、会社の人間関係に疲れ果てる大人、ボロボロになって生活保護を受ける大人。

 

「もう大人なんだから」

「もうお母さんなんだから」

「父親として良い所を見せないと」

これって

「もう年長さんなんだから」

「もうお兄ちゃんなんだから」

「そんな高校にしか進学出来なくて恥ずかしいと思わないの?」

と同じ雰囲気を感じる。

 

つまり昔隠れていた被虐待児が今になって社会から虐待されているのでは? ということ。

自分が子供の頃「○○が辛い」と訴えても「そんなのはただの甘え」と怒られてきた。

実際にそれらは虐待だったりイジメだったりしたんだけど、当時それを理由にする事は許されなかった。

そうして自分自身が病んでいる事にすら気付いてもらえないまま大人になって、なんやかんやあって結婚して子供を持った。

そうしたら社会の定規が丸っきり変わっていて、子供時代に自分がされてきた事をすれば虐待と非難され『親として失格』だと糾弾される。

その上デフレや非正規雇用が広まってどう頑張っても共働きで死なない程度の暮らししか維持出来ない。

それは実質的には社会のせいなんだけど、どうしたって最初にパートナーへの不満、次に身内からの抑圧がくる。

悪いのは勿論この夫婦じゃない。だけど内外からの不満やストレスはどうしたって立場の低い子供へ向かう。これで病んだ家族の出来上がりって寸法。

 

「こんな社会に誰がした」って思うじゃん?

でも悲しい事に、明確な犯人は居ないんだよ。

政治家が悪い訳じゃない。大手企業が保身に徹したのも悪くない。

バブルが崩壊した所に地震やら異常気象やらで国全体が追い打ちをかけられて、もう国から国民の1人1人までもが疲弊しきってしまったのが現実なんだと思う。

 

確かに日本はアジア1の先進国だったのかもしれない。

でも今の日本は空洞になった老木の様に感じる。

そこに立っているだけで、最早生えてはいない。実はとっくの昔に死んでいて、今にも倒れてしまいそうな朽ち木。

そこで「豊かに健やかに生きろ」と言われても、土台無理な話なんだよな。