ノーガードという戦法(但し勝てるとは言っていない)

日々の思考を徒然とキーボードで打つブログ。

『アントラム』観てきたから死ぬ前に感想!

見たら死ぬ。

 

そんな感じの映画は結構あるよね。

で、今回その内のひとつ『アントラム』を観てきました!

この映画は

・初回公開時映画館が丸ごと燃えて観客も死んだ

・上映を企画した人達が全員突然死んでる

・今回フィルムを買った日本の配給会社のスタッフは誰も観てない

・試写会やろうとしたら映写機が壊れて破談

・上映に際してお祓いを頼むも司祭が泡を噴いて倒れて断念

というとにかく観た人間を片っ端から殺していく映画です。

 

僕は別段明日死んでも問題ない人間なので早速観ました。

サブリミナル効果とか周波数とか色々映画の中で説明してくれているのでその辺は割愛します。

※以下ネタバレ有

まず全然説明してくれなかった気になる点。

・所々二重露光みたいな感じで誰かの顔がアップになって喋ってる

・主人公二人のゴースト(映る対象の横に残像が出る)率が異常

・画面の端に出る数字とか記号とは?

・鏡文字で一瞬出てくる英文? は何て書いてあったん?(当人英語非対応)

・サブリミナルと言われてた部分は逆にサブリミナルじゃないくらい長尺だったよな

 

一言で言うと

「ディスク買ってコマ送りとか動画に加工入れて隅々まで調べたい。」

 

はい、これからちゃんとした感想書きます。

まずこういう題材の作品を観る度に思う

無宗教だからその概念解りかねるー」

という悲しみ。

悪魔とか地獄の門とかケルベロスとか、知ってはいるけどそれ全部ゲームと漫画で得た知識でしかないんだよな……。

きちんとキリスト系の宗教を勉強してたり、何なら信仰してたりすれば変わると思うんだけど、日本には悪魔の概念が無い。確か天使が堕落すると悪魔になるんだけど、そもそも天使も唯一神も割と本気でどうでもいい。

日本は八尾万津の神って文化があるし、人を呪い殺すのは人間であって悪魔の様な別の存在じゃない。人にちょっかいを出すモノで似たような存在は妖怪ってのが一応いるけど、あれは呪いとか祟りじゃないんだよなぁ。

ついでに日本の神は滅茶苦茶悪行三昧だった輩を崇め奉って神にする事で封じたりしてるから、何だったら神も元人間だったりする。

唯一神と悪魔って概念が薄いと必然的にそこに込められた呪いも薄まる。

詰まる所『アントラム』が観た人間を黒魔術的な呪いにかける媒体だった場合日本人には「効果はいまひとつのようだ」って事になる。

 

一方で周波数による脳への刺激は日本人にも有効なんじゃないかな。ただし、我々現代人は数多の電波を浴び続けて生きてきてるから1970年代後半とはダメージが大分違うと思う。

電磁波の渦中に在って「周波数で頭が壊れる!」なんて人はとっくに壊れてる。アルミホイルで全身防御してる。

 

そういう事を考えると、まぁ最後のひと押しみたいなきっかけには成りうるけど、殺しまくるのは難しいんじゃないかなー……。

逆にキリスト教が一般的な国で上映したらちゃんとヤバさが解る気がする。

 

んで、作中でもちゃんと言われてたけど、このフィルム自体は一度無くなってるって過去がある。今回のはオークションに出た物を現在のオーナーが買っただけで、これが本物かどうかは証明出来ない。観てる人は死んでるからな。

しかも当時の技術では不可能だった細工がされている事から、例えこれが本物だったとしても編集が加えられているという。

ちなみにフィルム本編自体はオーナーが買った物をそのまま使用していて、最初と最後に入る作品についての注釈だけが映画製作会社によって足されているらしい。製作会社も観てはいないんだと。死にたくないからww

 

ただこれで安心するのは早計過ぎる。

何故ならプラシーボ効果を以てして悪意は形を成すのだから。

気味が悪いな。怖いな。呪われてしまったのかもしれない。

一瞬でもそれを信じてしまえば、その時点で相手の悪意が完成する。皆には影響が無くてもアナタだけに効果がある、なんて可能性も十二分にある。

恐怖に囚われ想像してしまったら、その恐怖はきちんとアナタに影響する。映画の意図とは無関係に。無尽蔵に。

 

さぁ、観たら死ぬ映画。アナタは観ますか?

年始なので「そろそろヤベーな」と思ってる様々を書いてみる。

年始、それは皆が希望を抱き晴れ晴れと報告をする時節。

しかし年末年始ってのは個人的に『年を越せなかった命』と『何とか年は越せたけどもう無理な命』という2つの命が混在する時期だと思う。

で、半分死んでる身としては死んでる側の方が気になるのでそっち側を考えてみようという企画。

 

『グーグル』

なんか去年から違和感というか、無闇矢鱈に裾野を広げすぎてる感が強い。

グーグルって検索エンジンとして日本にきたけど、やりすぎ都市伝説で伏せられてた"表向きはサーバー運営会社"ってグーグルか、と数日経ってから思い付いた。

検索エンジンとしか見てなかったけど、まぁアンドロイドってのはグーグルが持ってて、Gメールとか写真同期とかオフィスオンタイム連携とか、ちょっと思い出すだけでも結構手を出してるんだよね。

だからこそ何か端々に不具合というか、違和感レベルのエラーを感じる。

「あれ、このまま突き進んでってグーグル保つの?」

っていう不安。

この不安感はアップルやWindows(マイクロソフト)に感じるのと同じで、検索してみたらやっぱり創業者の手から離れてた。野心と野望を履き違えた二代目が踊らされてる雰囲気。

実際はもっと大きな場所から圧力をかけられて踊らざるを得ないのかもしれんけど、そうなった段階でもう死に体なんだよなぁ。

 

『戦争の終わりの終わり』

何のこっちゃかもしれんけど、要は「世界大戦起こるんじゃね?」って話。

昔聞いた話だけど、戦争によって文明は300年分前倒しで進化したらしい。それくらい戦争するってのはインフレを起こす引き金という事。

俺みたいな下々の民でも判るレベルで皆ストレスを抱えてる。この場合ストレスってのは我慢。もっと言うと暴力の我慢。

否定したい人も多いと思うけど、暴力も生物の本能の1つだと思う。

例えば今年行われるオリンピック。『スポーツによる健全な国同士の争い』みたいな謳い文句があるけど、そのスポーツの祭典で1位を取る為にドーピングして選手の人生を台無しにしたーなんてのは周知の事実。

国の偉い人が民を駒にしてテーブルゲームをしてるって構図は戦争もオリンピックも大差ないんだよ、極論。

もっと身近でシンプルな例えだと、SNSの炎上。

少し古い人達には嫁姑間で起こる「重箱の隅をつつく様な指摘」の方が分かりやすいかもしれない。

小さな事に目くじらを立てて糾弾してなきゃ現実世界でやっていけないくらい、誰もがフラストレーションを抱えてる。

芸能人が不倫? 他人事じゃん。

インターネットで有名な人が実はリア充だった。で?

冷めた目で見ればどうでもいい事なのに、槍玉に挙げなきゃ気が済まない。本の少しの間違いすら許せない。許してはならない。なんともヒステリックな話だけど、インターネットの中ではよくある話。

姑が「焼き魚に焦げ目がついているのは私を癌にさせたいからだ」「掃除をしたって言ってたけど窓のサッシに埃が残ってる」「私が嫁入りした頃は全部出来て当たり前だったのに、どうして貴女にはそれが出来ないの?」ってイビってるのと構図は同じ。虐げられてるから誰かを虐げずにはいられない。

これってフラクタルな事象だと思っていて、民間がミクロで国家間がマクロ。どんなに拡大しても縮小しても同じ構図。もしこれが宇宙規模なら実は宇宙戦争はとっくの昔に始まってるのかもしれない。地球でもやっと戦禍を感じられるくらい、宇宙はバッチバチに争ってるのかも。とかね。

 

『ミスター関』

急に規模が小さくなったとか思わないでほしい。これも民間で感じられる貴重なケースのはず。……はず。

都市伝説というジャンルをお茶の間に広めたエンターテイナー関さん。

元々世界滅亡とかはムー辺りが流行らせたけど、その時点ではそれってオカルトのカテゴリーだった。UFOも幽霊も、科学で説明できない事は全部オカルト。んでもってオカルトは眉唾物のフィクション。そういう扱いだったと思う。

本当はそこに近未来的な技術とかも入ってたんだけど、引っくるめてオカルト扱いされてたんだよな。

そういう大きなジャンルから新たに都市伝説を確立させたのが関さんだった。

文明や歴史を台頭させる事で「あり得なくはないのかもしれない」と思わせる事に成功した、オカルト好きからしたら凄い成功例。

でもここ数年、関さんはストーリーテラーではなく明らかに"語らされていた"、言わばマリオネットみたいな存在になってしまった。真実を暴いていく立場だったはずなのに、いつの間にかスケープゴートーーーとまでは言わなくても広告塔になってしまった。

本人がどう解釈してその立場に居るのかは分からないし、知らない。

でも個人的には可哀想だなと思ってしまう。彼が見抜いていると思って目を輝かせている物事は、本当に世界を操っている人が作った表層レイヤーでしかないんだろうな、と。

いや俺だって何も知らないし分からないよ? でも知らないし分からない所で世界が動いてるってことくらいは解ってる。どれを信じてどれを疑ってどれを諦めるかは個人に許された最大範囲だと思う。それを幸と思うか不幸と思うかを振り分ける自由を含めてね。

 

『僕達を騙している存在』

最後は大きく出るよ!

色んな立場の色んな人が、それぞれを上手く隠したり加工したりして騙してた。まぁそれだって遡れるのは精々昭和後期くらいまで。それ以降は全部うやむやになってしまったから、現代の僕らがそれを見破ったり掘り起こしたりっていうのはある程度の限界があると思う。資料は焼かれてしまったし、第六感とやらは目覚めそうにない。

だからこそ、例えば全てに『疑わしきは罰せず』を適用してみると、何だって起こり得ただろうし起こり得るだろうなーと思う。

心理学で提唱された『集合的無意識』はあるのかもしれない。

僕らはメモリーでありCPUは大きな1つの存在かもしれない。

甲殻機動隊タチコマと自分は全く異なる立場だと主張するだけの確証は無い。

本の少し前まで当たり前にあると思ってたドラえもんの秘密道具がこっそり大百科から消されていたりする。

クラスメイトで盛り上がってたアニメがユーチューバーによって「闇のアニメ」にカテゴライズされてたりする。

反日の外国人がインターネットを伝って教育という名の洗脳をされていたと知る。

日本人が全然教育されてこなかった事実の資料がその外国にあったりする。

どっちが本当なのかは中々選べなかったりする。

従軍慰安婦は実在したと思う。被害者の日本人がいるなら加害者の日本人もいると思う。外国人に無理強いされて妊娠したけど医者から勧められて堕胎した日本人は沢山いる。だから日本人に同じことをされた外国人は居て当然。そもそも途中まで日本は勝ってたからな。

でも本当はどうか分からない。敗戦国となった日本はGHQによる徹底的な指導を受けて教科書をノリ弁にした国だ。

両親から受けた教育は正しいだろうか? 俺は臨床心理士によって「それは教育ではなく洗脳だ」と言われた。でも隔離された家庭環境で育った身としてはどれが教育でどれが洗脳かは判別できない。

霊能力者から「君は霊感が強過ぎるんだね」と認められたけど、精神科で同じ事を話すと「統合失調症ですね」と診断された。

同じ意見の人はいっぱい居るけど、同じ数くらい反対の人も居る。そしてそれと同じくらい「どうでもいい」と言う人もいる。

偏ろうと思えばいくらでも偏れる。でも、一度疑問を持ってそれを行動に移してしまえば偏っていたという事実の切れ端に簡単に辿り着けてしまう。その切れ端が本物かどうかを疑うに足る別の切れ端にも出会えてしまう。

疑う余地なんて無かった世界。騙されているなんて微塵も思わなかった世界。

そういう世界を保つ事はもう無理だ。

夢中になって見ていたサンダーバードにある日釣糸を見つけてしまったみたいに、何も知らなかった頃には戻れない。

自分の写真を撮ってアプリで加工に成功した瞬間、他の人達も加工してるって気付くのと同じ。

ずっと騙されていたのかもしれないと知った上で、どれを自分の『本当』にするか選ばなきゃいけない時代。世界が世界じゃなくなる時代。

そんな時代が近い内に来るんじゃないかと思う。

 

全部思ってるだけだけどね。

思ってるだけだけど、俺みたいな下らない人間が思えるくらいの事は実際に起こってるんじゃないかと、そう思うんだよ。

思うだけなら、まだ合法だからね。

e-Sportsというジャンルが確率されたからこそ考えるゲームの『遊び方』

いよいよ日本国内でもその言葉が馴染んできたe-Sports

これはビデオゲームというデジタルの世界できっちりとルールや賞金を設けた競技大会の事を指す。

他のスポーツと同じくプロやアマチュアのカテゴリも存在し、スポンサーをバックにつけて試合に参加したりもする。

個人的にはスポーツもe-Sportsも身体能力を競うという意味では同じスポーツだと思っていて、何ならe-Sportsにも障害者枠があれば良いなーとか思っていたりもする。

 

さて、そんな感じで『ゲームがスポーツ選手と同じような立場の人間を生む場』になった今、個人的に改めてゲームの遊び方について考えてみた。

 

パズル、シューティング、格闘。どんなジャンルであれゲームはe-Sportsの対象になる可能性はゼロではない。

そういう雰囲気の中で生まれるのは

「こっちは遊びでゲームやってんじゃねぇ」

といういわゆるガチ勢の進化系のプレイヤーと

「ゲームなんだから好きに遊んで何が悪い」

というエンジョイ勢との軋轢である。

 

これは例えばアプリゲームにおける廃課金勢と無課金勢とに共通するもので、同じゲームをプレイしているのに『人生を賭けて真剣に向き合っている』プレイヤーと『非現実の世界を自由気ままに楽しみたい』プレイヤーが文字通り殴り合いの喧嘩をしている状態だ。

 

皆が楽しめれば良いのだが事オンラインとなるとそうもいかない。

個人的には

「何でゲームの世界でまで人間同士でギスギスせなあかんのか」

と思うが、まぁ実際こうなっている以上仕方ない。

そうして考えて出した答えは

「ゲームは遊びとして楽しみたいからオフラインのゲームをやろう」

だ。

こう言い切ってしまうと語弊が生じるので少し補足をする。

例えば週毎や月毎にランクが決まるようなオンラインゲームであれば、出来るだけ低ランクにいられるようにプレイ頻度を調節する。

特に洋ゲーは遊ぶだけでレベルが上がっていくタイプの物が多いので気を付けている。シーズンの底辺で遊べば初心者やたまにinする程度のエンジョイ勢が集まりやすいのでそこを狙うようにする。

MO系のゲームはこれである程度対策が可能になるが、MMOはそうもいかないのでそもそもプレイを諦めている。ソロでもいけるMMOなら話は別だがPTやギルドが大前提のMMOはまず無理なので諦める他無い。

 

もうひとつ、重要な要素がある。

それは『コンシューマー機で遊べるか否か』だ。

PCやスマホで遊ぶゲーム、若しくはマルチプラットフォームの場合はガチ勢とのエンカウント率が高い。それに比べてPS4ならPS4でプレイしている者同士、若しくはPS4とswitchといったコンシューマーのみ同期出来るタイトルの場合エンジョイ勢の方が多い。

ハイスペックを要するPCでプレイしているプレイヤーは大前提としてコストを多く負担しているのに対し、コンシューマーの場合ソフトの購入費のみの負担だからだ。こだわるにしても精々コントローラーのカスタマイズとインターネット回線くらいである。これはチーターの数で考えると分かりやすい。

 

ゲームでまで嫌な思いをしない為に、お互いの尊重や住み分けを考えてプレイをしたい。

あとセーブポイントから次のセーブポイントまでとかマッチングから試合までとか、1時間じゃどう考えても無理なんだよ香川県さん!!!

初回プレイ時なんてムービー見せられてチュートリアル終わって本編少し触るまで3時間は見込まなきゃ厳しいという現実を踏まえてくれ頼む!!!

虐待を受けて。ーいつでも死ねたあの頃に死んでおかなかった今の話ー

初めて死にたいと思ったのは小学生の時だった。

今では『自閉症の傾向が強い』ときちんと診断が下りているが、その結果を伝えてなお

「今の精神科は病気を作りすぎている。お前みたいなのを病人扱いしてたら社会が成り立たない。ただのワガママと甘えだ」

と全否定する親族に囲まれ、事故で半身不随の叔父を引きずり出してきて

「こういう人間を障害者って言うんだ。お前は違うだろ」

と脅迫される環境で、今もずっと生活している。

 

学生時代、それこそ十代の頃はそれでも『いつでも死ねるんだから』と自分を誤魔化して日々を耐えこなしていた。

いつでも死ねる。

それは親族が皆健康で、社会生活を問題なく営める状況だったからだ。

俺が死のうが生きようが、別段支障は出ない。だから止められている自殺は今はしないでおこう。世間体とやらを気にする家族に『子供が自殺した家』というレッテルは渡さない方が無難だ。

 

そうして耐えていたら、父親が死んだ。祖父と祖母も癌との闘病を始め、それに伴いずっと男に夢中だった母親が再婚予定だった男と別れ闘病に寄り添った。

祖父母が亡くなると、次は祖父が経営していた会社を畳む作業に追われた。銀行に借金をしていた事で裁判は長引き、元々何の資格も持たず実家の事務をしていた母親は職を失い再就職の道も無かった。

そんな事に忙殺されている内に僕は三十代になり、母親は様々な病を患い、名義だけを貸していた家は正式に自分の物となり、気付けば物理的なしがらみが張り巡らされていた。

 

結婚はしていないし子供もいない。

それでも一応三十代という大人として、例え精神障害者手帳2級であったとしても軽々しく『いつでも死ねる立場』ではなくなってしまった。

精神障害は比較的重度で仕事なんてとても出来ない。

最近短時間のバイトを始めたが、3時間のバイトをこなす為に心身はどんどん削られ今やバイトの為に生きているような生活である。

 

精神科の医師から

「披扶養者から外れて個人で生活保護を検討してみてはどうか」

と言われたが、そんな風に生活するには既にあまりに人間として壊れすぎていて無理だと断った。

アルコールとゲーム。PCやそれに付随するガジェット。

そういう非現実と常に共に在らねば命を絶たぬという事が不可能だからだ。

最早現実に耐えるだけの生命力は無い。

生活を保護してもらいたいのではない。そんな物を保護されても困る。

すぐにでも捨てたい命を約二十年間無理矢理延命してきたのだ。どちらかと言うと生活保護よりは生活遺棄をしてもらいたい。

勿論母親からも

「私は働けない訳じゃない。好きな事を全部辞めればいくらでも働ける。そうしろと言うのか」

と猛反対された。

約半世紀に渡り、虐待されながら家族に振り回されてきた母親の言葉は理解出来てしまうだけに空しい。

俺という三世代目が二世代目である母親を虐待すれば、自分の命も生活も如何様にも出来る。でもそれは、結局自分自身が否定している母親や祖母と同じ存在に成り下がるという事でもある。

 

今でも死にたいと思っている。もう終わりにしようと身体中が悲鳴をあげている。

けれどもう自分は『いつでも死んで良い』立場ではない。

そして『生きていける』身体でもない。

言葉通りの『死に損ない』である。

 

変な情や社会の目を気にして先延ばしにした結果死に損ないに成り果てた。

こんな実例がある事を、様々な環境や立場の人達に知ってほしい。

「生きろ」と命の強要をする事が、全てに等しく救いなのかを。

33歳、初めてインフルエンザにかかる。

年末年始は病院も休みだ。

 

唐突に何を言い始めたのかと思うだろう。

去年持病に副鼻腔炎が加わってからの年越しで、薬を貰いに行ったりするタイミングを計れなかったのだ。

そもそもスタンスとして炎症が酷くなったら都度抗生物質で叩くという方法なので、タイミング良く炎症を起こせでもしなければ計画的に薬を処方してもらう事など出来ない。

逆に年末年始さえ持ちこたえられれば何とかなるという訳だ。

 

しかしその年末年始に見事に悪化させ、更にバイトの連勤が重なった。

バイト先は帰省組が居ない分使える人員が限られているし、どのみち病院も開いてやしないから頑張った。

副鼻腔炎と喘息がタッグを組んできた連勤の最終日、熱があるのを押してバイトをやり遂げた。どうせこの熱も炎症のせいだ。そう疑わず。

 

翌日抗生物質を貰う為に耳鼻科を受診した。これが昨日の午後に当たる。

起きた時には熱もすっかり下がっていたし前日程喉に違和感も無かったので

「このタイミングじゃないんだよ、もうちょい悪化を先延ばせなかったのかね体よ」

と思いながらの受診である。

そうしたら医者が

「まあ時期も時期だし、念のためにインフルエンザの検査もしとこうか」

と言い出した。が、別に断る理由も無いので人生初のインフルエンザ検査を受けた。

聞くところによると大層辛い検査らしいので身構えていたが、ほっそい綿棒みたいな物で鼻と喉の間くらいの場所を擦られただけで終わってしまった。

え、皆これが嫌で検査したくないん???

 

さて、検査が終わり再び結果を聞きに医者に呼ばれる。

どうせ陰性でしたーで終わりなんだろうなー、検査代余計なんだよなー、と思いつつ座ると

「陽性でした。A型ですね」

と言われた。

はいぃ?(右京さん風に)

医者「僕も驚きましたよ。ワクチン打ってないし昨日ちょっと熱が出てすぐ下がったんでしょ? でもほら、試験紙が反応してるんです。だからA型ですよ」

 

ちょっと待て。待ってくれ。

いや確かに興味はあったし期待もちょっとはしてたよ? 未経験だから。

実際かかった事のある人達の体験談も

「あれは風邪とは明らかに違うって分かる」

「何度かかってもあの関節痛にだけは慣れない」

「インフルはマジで無理。動けなくなる」

と狂気を感じる話ばっかりだし、そりゃ一度くらいはかかってみたいと思うじゃん?

いつもと違う事は何一つ無かったんだが。

38.1度の熱が出て、その温度なりの関節痛はあった。んでもそれだっていつもの炎症の続きみたいな感じ。

咳も喘息のあの空咳みたいなのだけだったし、そもそも殆ど咳も出なかった。気管が狭まってるから強く息を吸うと噎せる、それくらい。

そんで全部翌日には治まってたんだが。

え、インフルエンザって何なん???

 

しかしまぁとにもかくにもインフルエンザという事で、それが判明してからの病院の対応が凄かった。

まずは個室に隔離される。会計から処方箋の受け渡しまで全部そこで済ませて病院から出される。めっちゃキャリア扱いしてくるじゃん。ウィルス原扱いするじゃん。

しかも専用の書類を渡されて「○日以上経つまで外出禁止」とか色々説明もされた。全く実感が無いが本当にインフルエンザなんだなぁ、とそこで初めて染々思った。

 

さて、それでは気を取り直して、巷で噂の禁断の薬『抗インフルエンザ薬』とやらを頂こうじゃないか!!

なんかアレだ、「アイキャンフラーーーーーイ!」って窓から飛び降りたりする幻覚妄想アッパー系のヤクなんだろ?(言い方)

 

薬剤師さん「この吸入薬を吸って頂いてインフルエンザの薬は終わりです」

 

え????

 

薬剤師さん「あ、もし不安な様でしたら笛で練習とかされますか?」

俺氏「あ、大丈夫です、普段から喘息の吸入してるんで……(きょとん顔)」

 

俺氏きょとん顔のまま帰宅。

あれ?

俺インフルエンザって言われたよな?

これは取れ高ある! って楽しみにしてたよな?

 

イベントひとつも起きなかったんですけど!!!

 

何だろう。まぁ、とりあえず

来年からはかからなくていいかな。

スマートフォンのスマートとは

いわゆるガラケーの時計がバグったらしい2020年。

現代はスマートフォンが主流となっているのはご存じの通りだ。

 

しかし、そもそもスマートフォンって何ぞ? と思う。

電話としてスマートなのであれば電話機能だけってのが正解じゃね?

ゲームが出来たり体調管理が出来たり買い物が出来たり……。それは電話として全然スマートじゃないし、何なら世間でよく使われるわがままボディじゃね?

というか皆スマホで電話してる? 電話機能使ってる? LINEとかじゃなくて割り振られた電話番号で電話してる?

 

俺がスマホにしたのはグラブルがテレビCMを始めたくらいのタイミング。

スマホには全く興味が無かったんだけど、ゲーム業界を見ていく上でスマホゲーは見過ごしちゃいけないんだなと思ってゲーム機として買った。

だから今でも扱い方はゲーム機。

んでも最近は「それスマホで出す意味ある?」って感じの大容量で電池劣化不可避なタイトルが増えすぎて「スマホゲーもそろそろ頭打ちだな」って感じが強い。

 

さて、そんなご時世スマホってすげー高いよね。

何を基準に高いかというと、『持っていなければならないと世間が思う必須ツール』として。

これには大きな原因があると思っていて、多分携帯電話という業界がそもそもこんな事になるとは思ってなかったんだろうなと。

まさか小さな子供までが所持し始めて、やれ動画だ音楽配信SNSだと"学校で友達との話題に取り残されない為に必要になる"ツールになるなんて予想してなかった。

電話としてもあくまで家電が主流で、まぁ会社が社員に配給したりはあっても一人一台が大前提になるなんて事は想定外。『スマホさえあればバイトにはありつける』なんていうような"貧しくてもスマホ"なんて事は予想してなかったと思う。

だからこそ契約プランとか本体の値段と世間の需要とのバランスが崩れて「なんか高い」って感じになってる。

「使いたい人は使ってね」VS「持ってなきゃ生活出来ない」という構図。

 

個人的には「持ってなきゃ生活出来ない」って方が違和感がある。

そもそもインターネットなんてオタクの娯楽施設的な位置だったじゃん? 一般人が入ってくる場所じゃなかったんだよな。

例えばゲームとアニオタだった頃に足繁く通ってた秋葉原。何でアキバに拘ってたかと言うと、そこには同じ種類の人間しかいなかったから凄く居心地が良かったんだ。

色んな暗黙の了解があって、同時に色んな"暗黙の許し"があった。

言葉を交わさずともお互いが同士であると解っていたし、当時強いたげられていたオタクという存在がそこでは市民権を得ていた。

だけど全国のオタクが秋葉原に集える訳じゃない。そんな時に活躍したのがインターネットだったのだ。

当時だって炎上とかはあった。あったけど、それは内輪の話であって一般人には無関係だった。もっと言えば現実世界と無縁だった。

それが今はある種のAR(拡張現実)として必需品になっている。

勿論本来の意味でのARとは違うが体感としてはAR感が強い。インターネットは最早架空ではなく現実に取り込まれてしまった。そして広がる筈だった世界はとても狭くなり、リアルで付き合う人間とネットでも繋がった結果イジメが起きて自殺する。

リアルとネット、同時に二つの居場所を失って。

 

サービスを提供する側が想定してない事が起きてるんだから、誰も対処なんて出来ない。

でも一度始まってしまった"当たり前"は止められない。

スマートフォンが全くスマートなフォンではない結果、社会は一種のウィルスに感染してしまったのかもしれない。そんな様に思えてならない。

川崎の噴水は水を出さない

明けましておめでとうございます!

のっけから全然関係ない文章書いていきますよ。いやいや関係はあるんですけどね。

 

神奈川県は川崎駅の周辺は噴水……というよりかつて水が流れていた全ての設備が停止しています。

それは神社仏閣も同じで、例えば手水舎にも水は流れていないし張られてもいません。

本来の手はずで参拝出来ないという事の影響は少なからずあるらしく、その道の方々からは辛辣な批判を受けているようです。

 

では何故川崎から水が消えたのか?

答えは地元民なら誰でも解ります。

ホームレスが洗濯や水浴びに使うからです。

 

ここで注意。

僕はホームレスを批判する気は一切ありません。

確かに彼らは法を犯して寝床を用意したりしています。

が、それは彼らと社会のあり方の反りが合わないだけで、彼らは自分が送りたい人生や生活を自らの手で掴んでいるだけです。

違法だと知っていながら、それでも生き方を曲げる事を良しとしない。罰される事を恐れず生きるその様は潔く力強いと思っています。

 

さて、そんなホームレスの方々にとって水場というのは貴重な場所です。

特に夏は全裸や半裸で水浴びをせずにはいられない季節だし、冬でも洗濯を始めとした生活用水として活躍します。

そこで少しだけ豊かになった気でいる近隣住民から苦情でもあったのでしょう。ある時あらゆる水関連の設備が止められたのです。

限られた水源を求めて神社仏閣に侵入を始めた結果手水舎の水も止めざるを得なくなった。

こんな背景があります。

 

ちなみに似た様な対策として、アゼリア(巨大地下空間施設)からは全ての椅子及び座れそうなオブジェが撤去されたり、他の大きな店舗からも次々に休憩スペースが潰された過去があります。

最近リニューアルされたりした場所なんかには時々あるんですけど、ホームレスじゃなくて無料で空調と電波を求める若者がタムロしているので治安は変わらないですww

逆にホームレスの方々の方が立ち回りを考えてくれるようになった気がします。長居しないとか迷惑にならない場所を見つけてそこで休憩するとか、ちゃんと共存していく道を選んでくれてるんですよね。

半グレが一番怖いのは川崎シティでも同じなんですな。

 

てな訳で地元の神社に初詣をしに行くのは諦めて、自分の繭気属性に合う別の神社に行こうかなーと思ってます。

そもそも今日からバイトなんですけどね!!!ww