ノーガードという戦法(但し勝てるとは言っていない)

日々の思考を徒然とキーボードで打つブログ。

年始なので「そろそろヤベーな」と思ってる様々を書いてみる。

年始、それは皆が希望を抱き晴れ晴れと報告をする時節。

しかし年末年始ってのは個人的に『年を越せなかった命』と『何とか年は越せたけどもう無理な命』という2つの命が混在する時期だと思う。

で、半分死んでる身としては死んでる側の方が気になるのでそっち側を考えてみようという企画。

 

『グーグル』

なんか去年から違和感というか、無闇矢鱈に裾野を広げすぎてる感が強い。

グーグルって検索エンジンとして日本にきたけど、やりすぎ都市伝説で伏せられてた"表向きはサーバー運営会社"ってグーグルか、と数日経ってから思い付いた。

検索エンジンとしか見てなかったけど、まぁアンドロイドってのはグーグルが持ってて、Gメールとか写真同期とかオフィスオンタイム連携とか、ちょっと思い出すだけでも結構手を出してるんだよね。

だからこそ何か端々に不具合というか、違和感レベルのエラーを感じる。

「あれ、このまま突き進んでってグーグル保つの?」

っていう不安。

この不安感はアップルやWindows(マイクロソフト)に感じるのと同じで、検索してみたらやっぱり創業者の手から離れてた。野心と野望を履き違えた二代目が踊らされてる雰囲気。

実際はもっと大きな場所から圧力をかけられて踊らざるを得ないのかもしれんけど、そうなった段階でもう死に体なんだよなぁ。

 

『戦争の終わりの終わり』

何のこっちゃかもしれんけど、要は「世界大戦起こるんじゃね?」って話。

昔聞いた話だけど、戦争によって文明は300年分前倒しで進化したらしい。それくらい戦争するってのはインフレを起こす引き金という事。

俺みたいな下々の民でも判るレベルで皆ストレスを抱えてる。この場合ストレスってのは我慢。もっと言うと暴力の我慢。

否定したい人も多いと思うけど、暴力も生物の本能の1つだと思う。

例えば今年行われるオリンピック。『スポーツによる健全な国同士の争い』みたいな謳い文句があるけど、そのスポーツの祭典で1位を取る為にドーピングして選手の人生を台無しにしたーなんてのは周知の事実。

国の偉い人が民を駒にしてテーブルゲームをしてるって構図は戦争もオリンピックも大差ないんだよ、極論。

もっと身近でシンプルな例えだと、SNSの炎上。

少し古い人達には嫁姑間で起こる「重箱の隅をつつく様な指摘」の方が分かりやすいかもしれない。

小さな事に目くじらを立てて糾弾してなきゃ現実世界でやっていけないくらい、誰もがフラストレーションを抱えてる。

芸能人が不倫? 他人事じゃん。

インターネットで有名な人が実はリア充だった。で?

冷めた目で見ればどうでもいい事なのに、槍玉に挙げなきゃ気が済まない。本の少しの間違いすら許せない。許してはならない。なんともヒステリックな話だけど、インターネットの中ではよくある話。

姑が「焼き魚に焦げ目がついているのは私を癌にさせたいからだ」「掃除をしたって言ってたけど窓のサッシに埃が残ってる」「私が嫁入りした頃は全部出来て当たり前だったのに、どうして貴女にはそれが出来ないの?」ってイビってるのと構図は同じ。虐げられてるから誰かを虐げずにはいられない。

これってフラクタルな事象だと思っていて、民間がミクロで国家間がマクロ。どんなに拡大しても縮小しても同じ構図。もしこれが宇宙規模なら実は宇宙戦争はとっくの昔に始まってるのかもしれない。地球でもやっと戦禍を感じられるくらい、宇宙はバッチバチに争ってるのかも。とかね。

 

『ミスター関』

急に規模が小さくなったとか思わないでほしい。これも民間で感じられる貴重なケースのはず。……はず。

都市伝説というジャンルをお茶の間に広めたエンターテイナー関さん。

元々世界滅亡とかはムー辺りが流行らせたけど、その時点ではそれってオカルトのカテゴリーだった。UFOも幽霊も、科学で説明できない事は全部オカルト。んでもってオカルトは眉唾物のフィクション。そういう扱いだったと思う。

本当はそこに近未来的な技術とかも入ってたんだけど、引っくるめてオカルト扱いされてたんだよな。

そういう大きなジャンルから新たに都市伝説を確立させたのが関さんだった。

文明や歴史を台頭させる事で「あり得なくはないのかもしれない」と思わせる事に成功した、オカルト好きからしたら凄い成功例。

でもここ数年、関さんはストーリーテラーではなく明らかに"語らされていた"、言わばマリオネットみたいな存在になってしまった。真実を暴いていく立場だったはずなのに、いつの間にかスケープゴートーーーとまでは言わなくても広告塔になってしまった。

本人がどう解釈してその立場に居るのかは分からないし、知らない。

でも個人的には可哀想だなと思ってしまう。彼が見抜いていると思って目を輝かせている物事は、本当に世界を操っている人が作った表層レイヤーでしかないんだろうな、と。

いや俺だって何も知らないし分からないよ? でも知らないし分からない所で世界が動いてるってことくらいは解ってる。どれを信じてどれを疑ってどれを諦めるかは個人に許された最大範囲だと思う。それを幸と思うか不幸と思うかを振り分ける自由を含めてね。

 

『僕達を騙している存在』

最後は大きく出るよ!

色んな立場の色んな人が、それぞれを上手く隠したり加工したりして騙してた。まぁそれだって遡れるのは精々昭和後期くらいまで。それ以降は全部うやむやになってしまったから、現代の僕らがそれを見破ったり掘り起こしたりっていうのはある程度の限界があると思う。資料は焼かれてしまったし、第六感とやらは目覚めそうにない。

だからこそ、例えば全てに『疑わしきは罰せず』を適用してみると、何だって起こり得ただろうし起こり得るだろうなーと思う。

心理学で提唱された『集合的無意識』はあるのかもしれない。

僕らはメモリーでありCPUは大きな1つの存在かもしれない。

甲殻機動隊タチコマと自分は全く異なる立場だと主張するだけの確証は無い。

本の少し前まで当たり前にあると思ってたドラえもんの秘密道具がこっそり大百科から消されていたりする。

クラスメイトで盛り上がってたアニメがユーチューバーによって「闇のアニメ」にカテゴライズされてたりする。

反日の外国人がインターネットを伝って教育という名の洗脳をされていたと知る。

日本人が全然教育されてこなかった事実の資料がその外国にあったりする。

どっちが本当なのかは中々選べなかったりする。

従軍慰安婦は実在したと思う。被害者の日本人がいるなら加害者の日本人もいると思う。外国人に無理強いされて妊娠したけど医者から勧められて堕胎した日本人は沢山いる。だから日本人に同じことをされた外国人は居て当然。そもそも途中まで日本は勝ってたからな。

でも本当はどうか分からない。敗戦国となった日本はGHQによる徹底的な指導を受けて教科書をノリ弁にした国だ。

両親から受けた教育は正しいだろうか? 俺は臨床心理士によって「それは教育ではなく洗脳だ」と言われた。でも隔離された家庭環境で育った身としてはどれが教育でどれが洗脳かは判別できない。

霊能力者から「君は霊感が強過ぎるんだね」と認められたけど、精神科で同じ事を話すと「統合失調症ですね」と診断された。

同じ意見の人はいっぱい居るけど、同じ数くらい反対の人も居る。そしてそれと同じくらい「どうでもいい」と言う人もいる。

偏ろうと思えばいくらでも偏れる。でも、一度疑問を持ってそれを行動に移してしまえば偏っていたという事実の切れ端に簡単に辿り着けてしまう。その切れ端が本物かどうかを疑うに足る別の切れ端にも出会えてしまう。

疑う余地なんて無かった世界。騙されているなんて微塵も思わなかった世界。

そういう世界を保つ事はもう無理だ。

夢中になって見ていたサンダーバードにある日釣糸を見つけてしまったみたいに、何も知らなかった頃には戻れない。

自分の写真を撮ってアプリで加工に成功した瞬間、他の人達も加工してるって気付くのと同じ。

ずっと騙されていたのかもしれないと知った上で、どれを自分の『本当』にするか選ばなきゃいけない時代。世界が世界じゃなくなる時代。

そんな時代が近い内に来るんじゃないかと思う。

 

全部思ってるだけだけどね。

思ってるだけだけど、俺みたいな下らない人間が思えるくらいの事は実際に起こってるんじゃないかと、そう思うんだよ。

思うだけなら、まだ合法だからね。