ノーガードという戦法(但し勝てるとは言っていない)

日々の思考を徒然とキーボードで打つブログ。

スマートフォンのスマートとは

いわゆるガラケーの時計がバグったらしい2020年。

現代はスマートフォンが主流となっているのはご存じの通りだ。

 

しかし、そもそもスマートフォンって何ぞ? と思う。

電話としてスマートなのであれば電話機能だけってのが正解じゃね?

ゲームが出来たり体調管理が出来たり買い物が出来たり……。それは電話として全然スマートじゃないし、何なら世間でよく使われるわがままボディじゃね?

というか皆スマホで電話してる? 電話機能使ってる? LINEとかじゃなくて割り振られた電話番号で電話してる?

 

俺がスマホにしたのはグラブルがテレビCMを始めたくらいのタイミング。

スマホには全く興味が無かったんだけど、ゲーム業界を見ていく上でスマホゲーは見過ごしちゃいけないんだなと思ってゲーム機として買った。

だから今でも扱い方はゲーム機。

んでも最近は「それスマホで出す意味ある?」って感じの大容量で電池劣化不可避なタイトルが増えすぎて「スマホゲーもそろそろ頭打ちだな」って感じが強い。

 

さて、そんなご時世スマホってすげー高いよね。

何を基準に高いかというと、『持っていなければならないと世間が思う必須ツール』として。

これには大きな原因があると思っていて、多分携帯電話という業界がそもそもこんな事になるとは思ってなかったんだろうなと。

まさか小さな子供までが所持し始めて、やれ動画だ音楽配信SNSだと"学校で友達との話題に取り残されない為に必要になる"ツールになるなんて予想してなかった。

電話としてもあくまで家電が主流で、まぁ会社が社員に配給したりはあっても一人一台が大前提になるなんて事は想定外。『スマホさえあればバイトにはありつける』なんていうような"貧しくてもスマホ"なんて事は予想してなかったと思う。

だからこそ契約プランとか本体の値段と世間の需要とのバランスが崩れて「なんか高い」って感じになってる。

「使いたい人は使ってね」VS「持ってなきゃ生活出来ない」という構図。

 

個人的には「持ってなきゃ生活出来ない」って方が違和感がある。

そもそもインターネットなんてオタクの娯楽施設的な位置だったじゃん? 一般人が入ってくる場所じゃなかったんだよな。

例えばゲームとアニオタだった頃に足繁く通ってた秋葉原。何でアキバに拘ってたかと言うと、そこには同じ種類の人間しかいなかったから凄く居心地が良かったんだ。

色んな暗黙の了解があって、同時に色んな"暗黙の許し"があった。

言葉を交わさずともお互いが同士であると解っていたし、当時強いたげられていたオタクという存在がそこでは市民権を得ていた。

だけど全国のオタクが秋葉原に集える訳じゃない。そんな時に活躍したのがインターネットだったのだ。

当時だって炎上とかはあった。あったけど、それは内輪の話であって一般人には無関係だった。もっと言えば現実世界と無縁だった。

それが今はある種のAR(拡張現実)として必需品になっている。

勿論本来の意味でのARとは違うが体感としてはAR感が強い。インターネットは最早架空ではなく現実に取り込まれてしまった。そして広がる筈だった世界はとても狭くなり、リアルで付き合う人間とネットでも繋がった結果イジメが起きて自殺する。

リアルとネット、同時に二つの居場所を失って。

 

サービスを提供する側が想定してない事が起きてるんだから、誰も対処なんて出来ない。

でも一度始まってしまった"当たり前"は止められない。

スマートフォンが全くスマートなフォンではない結果、社会は一種のウィルスに感染してしまったのかもしれない。そんな様に思えてならない。