虐待を受けて引き込もっていた発達障害の僕が働いてみた話。
僕は現在進行形で虐待を受けている。
ただ、四人から受けていたのが今では一人からなので負担は減っている。
高校卒業後、性同一性障害による日常の様々な困難に疲れ果てた僕は頑なに進学を拒否して精神科へ足を運んだ。
男になってから、ちゃんと社会に出よう。
ーーー結論から言うと、そんな期待は打ち砕かれる事になる。
精神病があると性同一性障害と認めてもらえないので、僕の人生は二十歳にして詰んだ。
電車に乗れないので、近所でバイトを募集していた洗濯屋?でバイトを始めた。でも一ヶ月で辞めた。
理由は至極単純で、その小さな工場には女性が数名働いており、その内の一人がボスで他は全員取り巻きだった。
「分からない事があれば訊け」
と吐き捨てたそのボスは、仕事中ずっとイヤフォンをしているかスマホで電話しているかで、とても話を聞ける状況ではなかった。
そうして聞かずに独断でやってミスをしては質問をしなかった事を責め立てられる。
元々女性恐怖症だったのもあり、メンタルがゴリゴリ削られて、辞めた。
次のバイト先はドラッグストアだった。
レジスターとは仲良くなれたけど、店長と副店長の意見が正反対で、どちらの言う事を聞いてももう一方から怒られる日々に耐えられなかった。
それにレジから離れられないのに何処にどの商品があるか覚えろと言われても、「どうやって?」という疑問しか浮かばなかった。
人間関係が拗れるならと、日雇いの派遣に登録した。
最初に派遣された場所はプラスチックを加工する工場だった。
何故か仕事終わりに工場長に呼び出された。
一人称が僕だったのが気になったらしく、しつこく聞いてくるので答えたら
「それは間違ってる。ただの思い込みだよ。子供を産めば間違ってたって絶対解る。だから女の子らしくした方が良い」
と言われた。
今日しか会わない人間に人格の全否定をされて、派遣会社も辞めた。
こうして僕は二十歳からニートになった。
家にも居場所なんか無いけど、外にはもっと無かったと痛感したからだ。
時は過ぎ、三十歳になった頃。
祖父母の闘病が終わり逝去し、遺品として預かった猫も天寿を全うした。
一段落ついて考えたのが仕事だった。
ゲームに関係する仕事をしたくて近所のレンタルビデオショップに応募した。※この間に引っ越しをしており、引っ越した先の近所にお店があった
面接の時、最初に障害者手帳を見せた。ずっと引き込もっていた事も話した。
でも結果は採用だった。
そこでバイトを初めてから三年が経った今でも、辞めずに続いている。
先輩方は最初の方こそ戸惑っていたが、今はバンバン注意してくるし一般人と変わらない感じで接してくれつつフォローやネタで和ませてもくれる。
正に人に恵まれた職場なのだと思う。
そんな職場に恵まれている今はとても楽しいし嬉しい。
ただ、今度は家に帰りたくなくなるという罠……。