ノーガードという戦法(但し勝てるとは言っていない)

日々の思考を徒然とキーボードで打つブログ。

水子に対してのイメージの違い。

ふと『水子』という存在を改めて考えた。

心霊スポットとしても有名になりやすい水子供養の場。

産まれる前に死んだ存在を態々『水子』と呼び、仏と分けて呼ぶのにはそれなりに理由があるのだろう。

同じように『親になれなかった大人』達もそれなりに咎を背負っているのかもしれない。

 

……が、僕にはその重みに微塵も共感出来ない。

死んだ人間はまとめて『故人』という印象だ。

そしてこれは恐らく生まれ育った環境にあるのだと思う。

 

僕が幼少期から今まで暮らしているのは神奈川県川崎市の港に近い繁華街である。

ここの治安はいわゆる頬に傷を持つ方々によって守られていると言っても過言ではない。そういう地域だ。

中学校に進級すると初めに特別授業を受けるのだが、それはクスリや避妊、シンナー等についての知識と『先輩から勧められても手を出してはいけない』という忠告である。

それでも非常ベルは毎日鳴るし、ポイ捨てされた煙草の火を消すのは下級生の役目なんていうルールが当たり前にあり、当たり前にそれを受け入れるような地域。

同級生はハーフは勿論在日の色んな人種がいて、皆出稼ぎ2世だ。

本人は日本語ができても両親はできないなんて事もザラ。またその殆どは夜の蝶として生計を立てている為街中には色んな人種の美人さんが歩いている。

高齢男性と若い外国人女性が一緒に歩いていたら十中八九同伴だと思っていい。

 

そんな地域だから子供同士で簡単にヤることヤってできちゃって下ろすのも普通だった。

高校生になる頃には出産を期に退学する同級生も多かったと思う。

実際僕には兄がいるが、経緯を聞けば親父が友達の妹とでき婚したけど相手はまだ十代ですぐに離婚したらしい。

ちなみに僕と兄は腹違いで、失恋して飲み屋で呑んでた母を一晩で口説き落としたのが僕の存在の経緯である。

兄はその後高校時代に交際相手を孕ませて下ろしているが親も普通に金を出したし、現在若い嫁を貰って一児の父として極普通に家庭を持っている。

 

そういう中にいるとやはり道徳観念なんて物は育たないらしく、僕自身死んだ祖父母もその水子も、何なら死産だったという親父の兄も一纏めに『故人』としか思わない。

だから「水子って何ぞ?」と思った。

 

望まれない命として生かされるよりマシだと思うし堕胎の何がいけないのか分からない。生まれなかった事の何が不満なのか分からない。どうせ生まれたって虐待される訳だし。

産み堕とされて虐待され見事に精神障害者に成った人間として、微塵も理解出来ないという方がむしろ自然なのだと思う。

 

世間では割と問題になっているし、遥か昔から現代に至って尚『水子供養』という特別な儀式が存在しているのだからそれなりに大きな事なのだと今更ながら気付いたのだが、三十路になってから気付いても心の形なんて物は変わらんのだとよなぁ。