問「やり直せるならどこからにしたい?」答「間違いと正解は正反対とは限らない件について」
「もしやり直せるとしたら、どこからやり直したい?」
この問いは日常でわりと遭遇しやすいifの世界だと思う。
そしてこの問いに遭遇する度に僕はこう答える。
「折角ここまで進められたんだから、このまま死にたい」
その理由は大きく分けて2つある。
1『人生ずっと辛かったからそもそも戻るのが嫌』
僕のこれまでの人生というのはとにもかくにも辛かった。
ただただ今が早く過ぎ去る事しか願ったことはない。
逃げたくても逃げる場所なんて無く。
自殺にも幾度か失敗した。
そうしてボロボロになりながら30余年間這いずってきたのだ。
やり直すより終わらせる方がどれだけ楽か。
ならばもう座して死を待つのみである。
2『間違いと正解は正反対とは限らない』
人生の中で「間違えた」「失敗した」と鮮明に思い出せる瞬間は誰でもあると思う。僕にもある。
しかし、"ではそのシーンの最適解は何か"といういわゆる「正解ルート」が解っているかというとそんな訳もない。
"こうするべきだった"と"正解"は別物だ。
そもそも失敗だって結果を体験しているから「失敗だった」と振り返る事ができる訳で、どれが正解なのかも同じく結果を見てみなければ分からない。
鳳凰院凶真のような鋼のメンタルは生憎持ち合わせていないので御免被る。
この2点において『やり直す』メリットが少なくとも僕には見えない。
後はまぁ分岐点が分かっても結局同じEDに辿り着きそうだから、努力して絶望を得る事はないかなと。
僕が僕である限り、僕から逃れる事は出来ない。
何となくそう思ってしまう。
同じ様な感じで
「生まれ変わるとしたら何になりたい?」
という問いに対して
「もう生きるのは御免だから生まれ変わりたくない」
と即答すると十中八九引かれて終わる。
こんな世界も自分も嫌でござる\(^o^)/