ノーガードという戦法(但し勝てるとは言っていない)

日々の思考を徒然とキーボードで打つブログ。

普遍的に通用している形の怖さ。

今回は身近にある恐怖について書こうと思う。

それはあまりにありふれている、だからこその恐怖だ。

 

例えば、コンセント。

今あなたの側にもあると思う。

そのコンセントにプラグやアダプターを挿すことによって、我々は様々な電化製品を扱うことができる。

大容量の冷蔵庫から、スマートフォンの充電まで。

もしそれが無くなったとしたらどうだろうか。

コンセントタップが多種多様な形になり、あの2本の金属を射し込むことではどうしようもなくなったら。それが3本だったり位置がランダムになったとしたら。

簡単に言うと、あらゆる電化製品の使用が困難になる。

 

僕が初めてこれを考えるに至ったのは『USBの普及とその早さの体感』である。

PCを使い始めた頃(それはWindows98と共にPCが個人使用機器として浸透していった時代)、使用していた外部メディアはフロッピーディスクだった。

磁気ディスクは脆弱だったがそれでも一応の保険足り得たし、データの個人間移動には便利だった。

データといっても写真などではなく、ちょっとしたメモ書き程度だ。

閑話休題

そんな小学生が高校生になる頃には既にUSBブームが起き始めていた。

個人的にはセルフパワー(個別にACアダプターで給電する)のUSB12連拡張機を使用していたが、あのブームに本気で乗っていた人達はそれでは済まないくらい何でもUSBで賄っていた。

卓上扇風機から謎の光る飾り、果てはユラユラと揺れるだけの癒し? アイテムまで、何でもUSBでPCに繋げては動く様を楽しんでいた。

 

まぁまぁそれでも事はPCの周辺だったから、今程の恐怖は感じなかったと思う。

PC好き=変人なんて風潮も色濃かったし。

しかし今はどうだろうか?

USBで繋いでいる物は実に枚挙に暇がない。

PCと周辺機器は勿論、ゲーム機にもスマートフォンにも、あらゆる電化製品にUSB端子を見てとれると思う。

コンセントタップの成り立ちも運用制度も知らないし、USBにだってそこまで詳しくはないが、それでもこの数年でのUSBの普及率と速度は驚きを禁じ得ない。

どこかの(恐らく海外の)ハードウェア会社が開発実装したUSBが今では日本での生活にすら欠かせない存在になっているのだ。

何でもUSBで解決できるというワンチャンを思わせるレベルで。

 

では、USBという規格が変わったらどうなるのか?

できるだけ機械に親しみがない層でも実感できる例を作ってみよう。

まずスマートフォンの充電機は機種毎に変わると思う。

アンペアの問題然り、バッテリーの仕様然り。

日進月歩の世界にあって『自由に電気を食らえる』のは強みだからだ。

もし充電機が壊れてしまったら、スマートフォンの型番を元に対応している充電機を探すかキャリアショップに行かねばならない。

それでもスマートフォンのモデルチェンジは早い。従ってどんどん古い機種の充電機は生産終了されていく。

もしかしたら充電機が壊れて探しに行く頃には対応している充電機が既に無く、やむ無く健康体のスマートフォン本体を買い換える他無い……なんて事も想像できる。

 

実際はそんなハイコストな事は滅多に起きないだろうが、コンセントタップに関してはどうだろうか。

もう開発普及されてから随分と経つし、そろそろ大幅なモデルチェンジがあってもおかしくはない。

 

事は電化製品に限ったことではない。

そう、例えば言葉。

"死語"。そんな風に呼ばれる、死んでしまった言葉達。

もっと分かりやすく言うなら同じ日本人なのに一般人は古文を読めない。

老人が書く達筆な縦書きの文章を読めない若者も多いだろう。

文字という遺し伝える技術すらこうである。

 

女性の方々に馴染み深い物であれば、生理用品のウィスパー社が日本から撤退した事ではないだろうか。

僕は身体は女なので今尚生理が発動する訳だが、初潮からずっとウィスパー以外を使うと大事故になる為大打撃だった。

今は睡眠時間を区切ったり大量出血の時期はそもそも寝なかったりしている。

電車移動ができなくなった最初の原因も、移動して帰宅するまでのどこかで必ず女子トイレに入らなければならない事だった。

一応説明しておくが性同一性障害者にとってトイレや更衣室制服等、性別で分けられる場所や物全てが敵であり脅威である。

 

まぁそうした『当たり前の物』かつ『それ無しでは発狂する』物は存外呆気なく絶える。その可能性を十分に秘めている。

現在の若者がキーボードを使えないのと同程度には。

未来の社会人がボタンという押す事で起動するシステムに馴染みを感じない程度には。

 

ある日突然何の前触れも無く心の支えだったバンドが解散した。

毎週欠かさず読んでいた漫画が打ち切りになった。

心酔するアニメキャラが尽く死んでいった。

飼っていた鳥が気付いたら呼吸を止めていた。

引っくり返って沈んでいても、呼べばいつもヒレを揺らす金魚が動かなくなった。

 

当たり前がその実全く当てにならない、長く共に在るモノはいつでもその牙を潜ませている。

地震が来なくても。

津波で流されなくても。

大雨で洪水が起きなくても。

身体が健康であっても。

交通ルールをきちんと守っていても。

良い子にしていも。

 

理不尽に唐突に、当たり前は壊されるモノなのだ。