臓器移植渡航の募金を見ると「可哀想だなぁ……」と思う件。
先日駅前で臓器移植に伴う渡航費や医療費の募金集団に出くわした。
幼い子供の顔写真のパネルを掲げた大人達が
「○○ちゃんの命を助けてください!」
と必死に声をあげるその姿を見る度に(可哀想だなぁ)と思ってしまう。
しかし恐らくその哀れみの出所は一般的な人達のそれとは大きく異なると思うので書いてみる。
まず海外での臓器移植には大抵億単位の金が掛かるらしい。
億なんて金は一般人には工面できないので募金を募る訳だ。
で、より多くの人に募金してもらう為に顔写真や名前を掲げて同情を煽る。
ここが一番の可哀想ポイントである。
臓器移植が無事成功し、帰国した瞬間からそれは始まる。
不特定多数の人達からの億単位の出資によって保たれたその命を一生背負うのは本人だ。
近隣住民は勿論ネット社会のご時世だから顔と名前がバレている段階で匿名性は皆無である。
可哀想な病気の幼児は金によって病を克服した。多くの人々の愛やら情やらによって九死に一生を得た。そんな子供が周りから願われるのは『一般的な人生』というとてつもない高さのハードルを課される。
学校に通い、友達と遊び、就職をし、結婚をする。医学的に可能であれば子供を授かるところまで求められるだろう。
例えばその子供が引きこもりになる事は許されない。髪を金髪にするのもNGだろう。ピアスなんてもっての他である。
親への感謝こそすれ反抗期であってもその重みに変わりはない。
進学先や就職先も限定されるはずだ。
社会的に認められる立派な職業でなければいけない。
バンドマンになる! 全く売れる見込みが無いけど画家を目指す! 病床時の支えになってくれたゲームが好きだからプロゲーマーになる! 夢とか無いからとりあえずフリーター!
恐らくそういった類いの物は全て却下されるだろう。
子供の物である筈の一生で、その命は親族や周囲から二言目には『皆から貰った命なんだから』と言われ続けるのだ。
どんなに人生に絶望し、精神を病み、いっそ終わらせてしまおうと思ってもそれは絶対に許されない。
ボクサーやレーサーやスタントマンといった危険な職業も無理だろう。
周囲から満場一致で賛成を得続ける。
それが人生を送る上での前提条件としてつきまとうのだ。
過度な期待。
それを裏切る事は許されない人生。
皆知っているから。
「あの子は募金で何億もかけて海外で臓器移植をさせてもらえた恵まれた子供なんだ」
という本人が望んだ訳でもない過去を。
敷かれたレールから外れる事を許されない一生なんて僕には考えられない。
あちこちにボディピアスを開け、髪を真っ青に染め、GIDである事を公にし、精神障害者として常に不健康であり、結婚も就職もしないと決め、厭世家として社会や世界を穿った見方しかしない。
そんな人生を我が道と決めた僕には。
まだ生き死にも分からない小さな子供が一生に課されるその投資額の額面と重さに、僕は同情してしまう。