虐待を受けて。ーいつでも死ねたあの頃に死んでおかなかった今の話ー
初めて死にたいと思ったのは小学生の時だった。
今では『自閉症の傾向が強い』ときちんと診断が下りているが、その結果を伝えてなお
「今の精神科は病気を作りすぎている。お前みたいなのを病人扱いしてたら社会が成り立たない。ただのワガママと甘えだ」
と全否定する親族に囲まれ、事故で半身不随の叔父を引きずり出してきて
「こういう人間を障害者って言うんだ。お前は違うだろ」
と脅迫される環境で、今もずっと生活している。
学生時代、それこそ十代の頃はそれでも『いつでも死ねるんだから』と自分を誤魔化して日々を耐えこなしていた。
いつでも死ねる。
それは親族が皆健康で、社会生活を問題なく営める状況だったからだ。
俺が死のうが生きようが、別段支障は出ない。だから止められている自殺は今はしないでおこう。世間体とやらを気にする家族に『子供が自殺した家』というレッテルは渡さない方が無難だ。
そうして耐えていたら、父親が死んだ。祖父と祖母も癌との闘病を始め、それに伴いずっと男に夢中だった母親が再婚予定だった男と別れ闘病に寄り添った。
祖父母が亡くなると、次は祖父が経営していた会社を畳む作業に追われた。銀行に借金をしていた事で裁判は長引き、元々何の資格も持たず実家の事務をしていた母親は職を失い再就職の道も無かった。
そんな事に忙殺されている内に僕は三十代になり、母親は様々な病を患い、名義だけを貸していた家は正式に自分の物となり、気付けば物理的なしがらみが張り巡らされていた。
結婚はしていないし子供もいない。
それでも一応三十代という大人として、例え精神障害者手帳2級であったとしても軽々しく『いつでも死ねる立場』ではなくなってしまった。
精神障害は比較的重度で仕事なんてとても出来ない。
最近短時間のバイトを始めたが、3時間のバイトをこなす為に心身はどんどん削られ今やバイトの為に生きているような生活である。
精神科の医師から
「披扶養者から外れて個人で生活保護を検討してみてはどうか」
と言われたが、そんな風に生活するには既にあまりに人間として壊れすぎていて無理だと断った。
アルコールとゲーム。PCやそれに付随するガジェット。
そういう非現実と常に共に在らねば命を絶たぬという事が不可能だからだ。
最早現実に耐えるだけの生命力は無い。
生活を保護してもらいたいのではない。そんな物を保護されても困る。
すぐにでも捨てたい命を約二十年間無理矢理延命してきたのだ。どちらかと言うと生活保護よりは生活遺棄をしてもらいたい。
勿論母親からも
「私は働けない訳じゃない。好きな事を全部辞めればいくらでも働ける。そうしろと言うのか」
と猛反対された。
約半世紀に渡り、虐待されながら家族に振り回されてきた母親の言葉は理解出来てしまうだけに空しい。
俺という三世代目が二世代目である母親を虐待すれば、自分の命も生活も如何様にも出来る。でもそれは、結局自分自身が否定している母親や祖母と同じ存在に成り下がるという事でもある。
今でも死にたいと思っている。もう終わりにしようと身体中が悲鳴をあげている。
けれどもう自分は『いつでも死んで良い』立場ではない。
そして『生きていける』身体でもない。
言葉通りの『死に損ない』である。
変な情や社会の目を気にして先延ばしにした結果死に損ないに成り果てた。
こんな実例がある事を、様々な環境や立場の人達に知ってほしい。
「生きろ」と命の強要をする事が、全てに等しく救いなのかを。