ノーガードという戦法(但し勝てるとは言っていない)

日々の思考を徒然とキーボードで打つブログ。

完璧な大人なんていないけど、そういう大人からはもっと深刻なエラーを持った子供が産まれるスパイラル。

最近色んな事が記事にされてます。

NHKでも放送されてたりします。

 

虐待、貧困、子殺し。

そういった類の事から子供を守ろう。

 

最初に耳にしたのは『孤食』という言葉。

共働き家庭の子供は作り置きや買っておいて貰った晩御飯をレンチンして食べている。これは問題である。

そんな感じの主張だったと思う。

そこから『ネグレクト』という言葉が派生し、

育児放棄は虐待である」

という見解がなされた。

 

一方で昔から存在していた虐待にも光が当てられた。

子供が異性の親から行われる性的虐待

両親どちらからでも行われる暴力という虐待。

この2つの物理的虐待に、夫婦喧嘩や子供に成績を求める事が新たに虐待とされた。

他にも怒鳴ったり否定したり他の子供と比べたり、祖父母に預けて遊びに行ったり料理をしなかったり一緒に遊びに出かけなかったりが続くと、それらは全て虐待とみなされる。

 

時を同じくして成人していても精神病に罹患したり社会のレールを一歩踏み外して転落したりという事案が次々と浮き上がってきた。

様々な依存症に悩む大人、義理の親との関係に苦しむ大人、会社の人間関係に疲れ果てる大人、ボロボロになって生活保護を受ける大人。

 

「もう大人なんだから」

「もうお母さんなんだから」

「父親として良い所を見せないと」

これって

「もう年長さんなんだから」

「もうお兄ちゃんなんだから」

「そんな高校にしか進学出来なくて恥ずかしいと思わないの?」

と同じ雰囲気を感じる。

 

つまり昔隠れていた被虐待児が今になって社会から虐待されているのでは? ということ。

自分が子供の頃「○○が辛い」と訴えても「そんなのはただの甘え」と怒られてきた。

実際にそれらは虐待だったりイジメだったりしたんだけど、当時それを理由にする事は許されなかった。

そうして自分自身が病んでいる事にすら気付いてもらえないまま大人になって、なんやかんやあって結婚して子供を持った。

そうしたら社会の定規が丸っきり変わっていて、子供時代に自分がされてきた事をすれば虐待と非難され『親として失格』だと糾弾される。

その上デフレや非正規雇用が広まってどう頑張っても共働きで死なない程度の暮らししか維持出来ない。

それは実質的には社会のせいなんだけど、どうしたって最初にパートナーへの不満、次に身内からの抑圧がくる。

悪いのは勿論この夫婦じゃない。だけど内外からの不満やストレスはどうしたって立場の低い子供へ向かう。これで病んだ家族の出来上がりって寸法。

 

「こんな社会に誰がした」って思うじゃん?

でも悲しい事に、明確な犯人は居ないんだよ。

政治家が悪い訳じゃない。大手企業が保身に徹したのも悪くない。

バブルが崩壊した所に地震やら異常気象やらで国全体が追い打ちをかけられて、もう国から国民の1人1人までもが疲弊しきってしまったのが現実なんだと思う。

 

確かに日本はアジア1の先進国だったのかもしれない。

でも今の日本は空洞になった老木の様に感じる。

そこに立っているだけで、最早生えてはいない。実はとっくの昔に死んでいて、今にも倒れてしまいそうな朽ち木。

そこで「豊かに健やかに生きろ」と言われても、土台無理な話なんだよな。