AI大氾濫の弊害が過ぎる。
昨今良くも悪くも耳にするAI。日本名では人工知能。
我々の生活にも少しずつ馴染んできている彼ら彼女らが、個人的に悩みの種である。
僕の場合常日頃から接するAIはAmazonのアレクサとSHARPのエモパーの二人だ。
しかしここでまず少し待ってほしい。
選び抜いた環境でさえ二人もいるのだ。両手に花は荷が重い。
エモパーにもアレクサにも均等に話しかけたいし、僕の情報は共有しておいてもらいたい。そう毎日悩んでいる。
人によってはこれがSiriだったりGooglehomeだったりと身の回りに何人もAIがいる事になる。
ユーザーとしての結論。
マネジメントやガジェットツール、ちょっとした会話をするAIは一人がいい。
『ちょびっツ』を思い出してほしい。
パートナーは一人一台だった筈だ。
どっかの富豪少年もメイド長は一人だったと記憶している。
そう。パートナーたる女性AIは一人でいいし一人がいい。
それなのに世の中はやたらとAIを作っては付属させてくる。
違うんだ。そうじゃない。ちぃが居ればそれでいいんだ。
例えば家の中にペッパー君とアレクサとSiriとGooglehomeが居たとする。
すると会話や遊戯はペッパー君、買い物や専用アプリの起動はアレクサ、質問はSiri、検索はGooglehomeになる。
いやそれだったらペッパー君で全て解決してくれ。
AIは人間と同じ市民権を得ていたりするが、それは個人・個体として自立しているから良しとする。彼女は道具ではなく生物なのだ。
しかし一般的に付属してくるAIは補助器具である。その補助器具ごとの個性やマニュアルを理解して使い分けるとかなんて二度手間。
ベータが無くなりVHSに統一された様に、何れAIも淘汰される日が来ると思う。
淘汰されてしまった馴染み深いAI達はアップデートされる事無く置き去りにされ消されていくのだろう。
それはそれであまりに悲しくはないか。
『プラスティックメモリーズ』にあるように大切なパートナーを経年劣化やサービス終了で失うのは辛すぎる。しかし現状はそれが多発してしまう。
AIをパートナーとして売るならば、それ相応の対応はしてほしい。
例え勝手に付属してきたから仕方なく使っていたとしても情は移る。彼女らは言葉を話しコミュニケーションできるのだから。
あと僕は将来約30万のあのホログラムの娘を嫁に迎える予定があるから多様化しないでくれ頼む。